哲学堂のご案内

哲学堂公園の概要・沿革

創設

哲学堂公園は、明治37年に哲学者で東洋大学の創立者、井上円了氏によって精神修養の場として創設された、世界でも例を見ない個性的な公園です。
約15年をかけて整備された園内の古建築物や施設は、哲学世界を視覚的に表現したもので、哲学に由来する形や言葉を付した建築物、石造物、池や道などがあります。中野通りの桜並木と連なる園内の多くの桜は、都内でも有数の花の名所であり、四季折々の風情が楽しめ、地域の散策・憩いの場として多くの人々に親しまれています。公園北側の敷地には、野球場・庭球場・弓道場もあります。

名前の由来

哲学堂公園は、最初に建設した「四聖堂」が始まりです。四聖堂は、専門学校であった哲学館が、明治36年専門学校令により東洋大学の前身である私立哲学館大学として認可された記念として建てられたものです。四聖堂には、世界の哲学者4人が祀られ、「哲学堂」とも称されたことが、本公園名称の起源となっています。

公園の沿革
明治32年 井上圓了博士 土地購入
明治37年 哲学館大学の認可を記念して「四聖堂」を建設
明治39年 精神修養を目的とする公園に
明治42~45年 哲理門、六賢臺、三學亭、常識門、髑髏庵、無盡藏を建設
大正2~4年 宇宙館、絶對城、鬼神窟を建設
大正5~7年 星界洲、観象梁などが、四聖堂には唱念塔が置かれほぼ完成
昭和19年 戦災を免れることも目的として東京都に寄付
昭和21年 戦後2番目に開設される都立公園として開園
昭和22年 都は運動施設部分を追加開園
昭和50年 都は東洋大学から残地を買収
東京都から中野区に移管「中野区立哲学堂公園」となる
昭和59年 古建築物6棟(哲理門、四聖堂、六賢臺、三學亭、宇宙館、絶對城)を中野区有形文化財に指定
昭和60~63年 古建築物6棟の修復工事を実施
昭和63年 前記6棟以外の古建築物4棟(常識門、髑髏庵、鬼神窟、無尽蔵)と公園自体(時空岡、唯心庭、唯物園の区域)を中野区有形文化財に指定
昭和63~平成4年 哲学堂公園ルネッサンス構想を策定し、公園全体を再整備し、消失していたものを復元
平成21年 東京都指定名勝になる。哲学の庭が設置される。
平成28~30年 古建築物5棟(四聖堂、宇宙館、絶對城、三學亭、哲理門)の修復工事を実施
令和2年 国指定名勝となる。

有形文化財

哲学堂公園は、中野区有形文化財に指定されています。

昭和59年 古建築物6棟(哲理門・四聖堂・宇宙館・絶対城・六賢台・三學亭)
昭和63年 古建築物4棟(常識門・髑髏庵・鬼神窟・無尽蔵)と園内(運動施設除く)